2005年7月19日
EVENT.44 東京スター銀行執行役 守谷 泰氏インタビュー
お忙しい中お時間を割いていただき、インタビューをさせていだきました。

7 月 19 日、 SPEC は 港区 赤坂にある東京スター銀行の執行役である、守谷泰氏を訪問させていただきました。
東京スター銀行の前身は破綻した東京相和銀行ですが、現在は米系投資ファンドのローンスターグループによって経営されています。証券化や「チーム制」の導入、日本初の外国人頭取の誕生などで認知度は急上昇しています。今後の業績の上昇も期待されています。
URL: http://www.tokyostarbank.co.jp/
守谷泰氏略歴
東京大学法学部卒
1982年 東京銀行に入社し、コーネル大学 で MBA取得
1999年 東京三菱銀行米州営業部(ニューヨーク)を最後に退職
2000年 みずほ証券ストラクチャードファイナンスグループ部長、
2001年 11月 CIBC証券ストラクチャードファイナンス部長を経て
( CIBC=カナディアン・インペリアル・バンク・オブ・コマース)
2003年 1月 東京スター銀行にインベストメントバンキング部長として入社、
2004年 5月 東京スター銀行 執行役コーポレートファイナンス本部長兼コーポレートファイナンス本部インベストメントバンキング部長兼コーポレートファイナンス本部不動産ファイナンス部長
ご挨拶と自己紹介を済ませた後、インタビュー開始
SPEC:MBA取得の際に、コーネル大学大学院ではどのようなことを学ばれたのでしょうか?
守谷氏:デリバティブなどのオプション理論、証券化、 M&Aへの対処法などを、具体的に直接的に学ぶことができました。それらは20年ほど前の当時では、日本では全くといっていいほど学ぶことができなかったので、経済学が最も進んでいるアメリカでそれらをいち早く学べたことは、とても意義があったと思います。
SPEC:現在の日本の証券化事情と、お仕事の内容などを聞かせていただけますか?
守谷氏:日本の証券化事情は、近年急速に拡大してきてはいますが、アメリカと比較すると、それでもまだ100分の1程度の規模ですね。我々は、企業再生や M&Aなど様々な案件を抱えますが、中でも老人ホームや病院などの医療関係、パチンコホールの証券化などにスター銀行はいち早く目を付けました。
SPEC:スター銀行で働いている方はどのような方なのでしょうか?
守谷氏:スター銀行は、皆が転職してきた人、つまり中途採用です。スター銀行設立当初からの4年間に入行してきた人は、外資や日本の大手証券会社出身などの、専門的知識を有する人々です。私自身は、設立当初に「チーム」全体で移ってきました。
SPEC:守谷さんが最初に転職しようと考えた動機は何ですか?
守谷氏:東京銀行時代1990年代から日本の証券化が始まり、私はそれに携わっていました。東京銀行は当時、国際業務のみを専門とする銀行であり、海外の支店のほうが国内の支店よりも多かった位でした。途中で三菱銀行との合併を経験し、それにより銀行経営自体が非常に官僚化され、投資業務を思ったようにすることができなくなりました。それがまず、最初に転職したいと思う動機でした。
SPEC:新卒採用の基準は、どこにあるのでしょうか?
守谷氏:我々スター銀行は、この4年間は全く新卒採用をせず、皆が中途採用で採用された者です。今年の4月に、初めて7人を新卒で採用しました。なので、どこに明確な基準を置いていくか、というのはこれから順々に決めていきたいと思っています。
SPEC:新卒のキャリア育成と、日系と外資の金融機関の違いを教えていただけますか?
守谷氏:スター銀行では、多くの外資も同様のプロセスを踏みますが、会社の人間は個人の特性(タイプ)によって、最終的にプロダクト専門、営業専門などと分かれていきます。最初の1−2年間は、仕事をローテーションさせて、それぞれの得意な分野を見つけ出していきます。従来からの日本の金融機関の弱点として、ジェネラリストの教育が挙げられます。皆が「ジェネラリスト」として育成されていく従来の日本の金融機関では、「プロフェッショナル(スペシャリスト)」が育たないので、近年ではそのような教育方法は変わってきています。業績と本人の希望が合致すれば、自分の希望する業務でスペシャリストとして育っていくことができる。これは、昔からの外資のやり方です。しかし、「プロフェッショナル」として育つと、会社に対する忠誠心がなくなってしまう。これは「会社組織」としては良いことではありませんね。従来の「ジェネラリスト」育成の教育方法は、「忠誠心」を植えつけられるという点で良いのかもしれませんが、従来の護送船団方式では経営が困難になっている現在、金融機関を含め日系会社が欧米流の「プロフェッショナル」育成方式に変化してきている状況というのはある意味、当然の流れなのではないでしょうか。それに加えて、ゴールドマンサックス、メリルリンチ、モルガンスタンレーなどの外資では、皆さんの知っている通り、業績によって給料が変化します。それと同時に、例えば業績の悪い 10%の人々は退社を余儀なくされる。そのために毎週のように、人が出入りし常に会社の構成要員が変わります。これは一般に「競争原理」と呼ばれるものですが、この原理が日本社会にも普及してきている現在、成果主義の導入は必須であるように感じます。ただ、経営問題のやり方は、業種などによって違ってくるので、どれが「良い」のかは分かりません。アットホームな会社で安定した生活を送るか、自分の能力の有り無しによって給料が変化する生活を送るか。後者は成果主義によるものですが、これはどっちが「良い」「悪い」ではなく、個人個人の人生に対する価値観の違いだと思います。ですから、自分がどのような人生を求めているかを知ることが、どの会社に入るかを選ぶ際の重要な指針になると思います。

SPEC:現在、守谷さんは具体的にはどのような仕事をされているのでしょうか?
守谷氏:私の役職名は執行役コーポレートファイナンス本部長兼コーポレートファイナンス本部インベストメントバンキング部長兼コーポレートファイナンス本部不動産ファイナンス部長、というとても長い名前ですが簡潔に言えば、法人部門全体を統括する仕事をしています。約 13の部門を統括していますが、具体的には先に述べた企業再生、M&A、証券化などです。
SPEC:日本ではプライベートバンクは普及すると思いますか?
守谷氏:欧米の本当のプライベートバンクは、本当の大金持ちを相手にします。それらの資産額も、数百億から数千億、数兆というレベルで、日本にはほとんど存在しません。なので、欧米で言うプライベートバンクは日本では成り立たないと思います。昔の日本の銀行は、預金金額にかかわらず接客していましたが、儲かる客と儲からない客を差別化するのが、プライベートバンクです。欧米のプライベートバンクとは言わないまでも、日本の金融機関でも、預金金額の違いでサービスの待遇を変えるような、欧米流の銀行経営に向かっているのは事実です。
SPEC:日本では貧富の差が拡大すると思いますか?
守谷氏:アメリカほどではないとはいえ、昔に比べれば貧富の差は拡大していますし、私個人としては、これからも加速度的に貧富の差は拡大すると考えています。
SPEC:守谷さんの学生時代をお聞かせもらえますか?
守谷氏:学生時代は特に何もしていませんでしたね。強いて言えば、バンドぐらいかな(笑)ただ、国際的な仕事がしたいとは思っていました。私の場合は、外交官になるか、商社か東京銀行などに勤めて海外で働く、というのが希望をかなえてくれる選択肢でした。ただ、漠然と、仕事上で海外と接したいというのは強く思っていました。
SPEC:転職によって、勤務体系の変化はありましたか?
守谷氏:案件によって変化するので一概には言えませんが、今が今までの人生の中で最も高い地位にいるので、自分の思うように仕事ができますね。ただ、その反面で責任も出てくるし、成果主義によって高い報酬が得られる反面、責任も出てくる。欧米系の外資では、高い地位にいけばいくほど仕事が楽になるわけではなく、逆に毎日勉強するという状況に置かれるので、日本ほど楽になるわけではありません。なので、楽という感じは全くないです。ただ、自分でコントロール(マネージメント)ができるという点で、偉くなることはとても自分にとって有意義であると感じていますし、それは誰もが感じることでしょう。
SPEC:今後、社会に出て行く上で学生にアドバイスなどをいただけますか?
守谷氏:私が学生の頃とは、今の状況は常に変化を遂げていて、全く違います。 MBA留学を例えに取れば、当時の留学生は私費留学などが多かったので、我々とは「心構え」が全く違っていました。「厳しさ」も当然違っていたでしょう。これからは、そのような人々と互角に接していかなくてはいけないし、当時当然だと思っていた終身雇用制が崩壊した現在、4年で大学を卒業し、就職しても定年まで同じ会社にいる人のほうが少数になるでしょう。アルバイトやインターンなどを通して、様々な業種を経験して、自分に本当に向いている仕事を見つけることが大事だと思います。一回、会社に入ったらそこでずっと働かなくてはいけないと決め付けるのではなく、自分に合わないと感じたなら転職を考えてみるのも一つの手だと思いますね。20年前とは、社会全体の制度が違いますから。頑張ってください。

SPEC:最後に、今の仕事に変えて、良かったと思いますか?
守谷氏:証券化という、自分が得意とする分野で、思う存分自分の能力を発揮することができるという点で、結果的には良かったと思っています。
どうも、ありがとうございました。
今回インタビュー記事に載せきれなかった事も含めて、守谷氏にはお忙しいところ様々なお話をしていただきました。
この場を借りてあらためて厚く御礼申し上げます。
このログは守谷慧が担当しました。すべての責任は守谷慧にあります。























