2005年07月12日
EVENT.41 GCA株式会社 代表取締役 佐山 展生氏 インタビュー
お忙しい中お時間を割いていただき、インタビューをさせていだきました。

七月十二日、スペックは日比谷にあるGCAの代表取締役である佐山展生氏とお話をさせていただきました。
GCAという会社は独立系のM&Aのアドバイザリーファームとして、クライアントのために100%サービスを提供することを理念とされている、まさにM&Aに必要とされる会社です。
URL http://www.gcakk.com/
経歴
1976年 京都大学工学部高分子化学科卒
1976年 4 月 帝人株式会社入社
1987年 7 月 三井銀行(現三井住友銀行)入行
1994年 ニューヨーク大学大学院ビジネススクール卒業、 MBA 取得(ファイナンス専攻)
1998年 ユニゾン・キャピタル株式会社代表取締役・パートナー
1999年 東京工業大学大学院社会理工学研究科博士後期課程修了(学術博士)、同非常勤講師
2001年 東洋大学大学院経営学研究科 客員教授
2004年 4 月 GCA株式会社代表取締役就任
2004年4月 一橋大学大学院 国際企業戦略研究科 助教授
2005年4月 同教授
現在、事業再生実務家協会常務理事、サイバーレーザー株式会社社外取締役など様々な分野で活躍をされています。

大学に入られるまでは
京都で生まれて少し奈良にいましたが、大学を卒業するまでほとんど京都にいました。中学一年の4月から高校三年の夏まで野球部にいた。進学校であったので、あんまり練習をしていないと思われるかもしれませんが、野球部だけはとんでもなく練習が多くて、朝練も7時からやっていましたし、休みもなく、正月3日間だけ休むといった生活を高校までやっていた。高3の夏はベスト8までいった。パタッと試合に負けて、勉強する時間ができた。丸々一日勉強する時間ができたけれど、全然やる気が出なかった。11月の10日ぐらいになってやっと「これはマズイ」と思って、やっとエンジンがかかった。そこで本当に気が狂うんじゃないかというぐらい無茶苦茶勉強をやった。でも行きたかった建築にはちょっと足らなかったので第二志望の高分子化学に入った。
大学に入られてからは
高校までやっていた野球を入学式の前から入れと言われ、入学式の前から練習には参加していた。今と違って、関西学生野球の6大学(同志社・立命館・関学・関大・近大・京大)は決まっていなかった。なんかいまいちイメージが違うなぁと思っていた(笑)そう思いながら夏までやっていた。でもふと建築行きたいなぁと思って野球部を休部した。そして、もう一回建築学科を受けた。でもだめだった。それで、3年のときにまた野球部に復帰した。大学生活までの自分を振り返ってみて、中学・高校は本当に充実していた。「これをやった」というものが残った。でも大学は充実していなかった。今思うと大学生活をやり直したいと思うぐらいだった。
なぜ帝人に入られたのか
その当時の理科系は自分で選ぶというよりも、教授からの指定で決まることが多かった。研究室の教授に帝人に行きなさいと言われ、そのまま帝人に入社した。それが普通であった。入社して愛媛の松山に行って、ポリエステルの重合ということなどをやって帝人で11年間勤務した。
帝人では

29歳までは、特に疑問を持たずにいた。最初入社したときは自分が技術者に向いていないのではないかと思った。それは、工場に入っても全然工程が分からなかったからなんです。その工場は化学工場で、パイプラインなどがあるのですが、中が全然分からない。そこで落ち込んだりしました。でも、おそらく何事もそうですが、真剣に考えれば、見えてくるものがあるんです。そうなってくると、何が分かってくるかと言うと、みんなが案外分かってないということが分かってくるんです。そうなってくると面白いですね。そうして、工場の自動化や増設などを行い、残りの5年余りは、技術部というところで新しいポリマーの開発に携わっていた。29歳になってみて、会社をみてみると、別に優秀な人が偉くなっているわけではなく、実績をあげている人が偉くなっているわけではないということがわかってきた。取締役になれるかどうかということが結果的に表れてくるのは50代になってからなんです。そのときに文句を言ってもしょうがない。俺はこれだけやったんだとか言ってもしようがない。ここでこのままいったら自分は多分後悔すると思ったんです。50歳くらいまでは安泰ですけどね。自分は大学に入る前から特に大企業に入りたいと思っていたわけではなかった。やっぱり自分で何かやりたいと考えていた。
銀行業界に移られた経緯は
なにか自分でやりたいと考えていたときに、何か資格を取ろうと思った。でも自分は技術系で技術系の資格では食べていくことができなかった。そこで司法書士、そして司法試験と目指すものが変わり、ちょうど司法試験の択一の願書を最初に提出したときに、新聞広告に三井銀行の中途採用の広告が載っていた。それで、履歴書を出したら、面接に呼ばれた。最初は別に銀行にかわりたいと思っていたわけではなく、ただどんな世界なんだろうかという興味があった。このとき、銀行員になりたいとは全然思っていなかった。技術者をどのように評価するのだろうかと思って面接を受けた。銀行というのは自分が将来何かをするときには関係してきそうな気がして、銀行の中に入るということもいい経験なのではないかと考え、銀行に行くことにした。そしたら全員に反対された。誰一人それはいいと言ってくれる人はいなかった。当時転職もなかった時代であったので、技術系の人がゼロベースで別世界に行くことは、まったく無かった。何が不満なんだと言われた。でも私は転職というものに「説明」責任はあっても「説得」責任はないと思っている。なぜかというと自分の人生は自分しかわからないからです。自分でやると腹をくくっていたからこそ頑張った。それで三井銀行に入ったら M&A のチームは自分を入れて6人しかいなかった。まだ実績がゼロであったが、なんとか一件目が2ヶ月半後ぐらいにまとまって、なかなか面白いなと思い、どっぷりと M&A にはまっていった。東京で3年、ニューヨークで5年3ヶ月、日本に戻ってきて 3 年いた。ニューヨークに行ったのも、自分で希望して行った。私はどちらかと言うと受身ではなく、自分からこうしたいと思って変わってきた。何かあったらいいなぁという受身の姿勢は無かった。何かいいことというのは自分から作らないといけないもの。自分の人生は自分で作るという気は持ってきている。それで、結果がだめでもそれは自分の責任なわけですから。ニューヨークに行って、初めて銀行というものを知った。銀行にいると上司が帰るまで帰らない社員がいた。それはなぜかと聞くと、上司から何かいわれるかもしれないから残っているとこたえた。実に無駄であると思った。それでよく見てみると、5時になるとぱっと帰る米国人がいた。それでその人たちに聞いてみると、夜の大学院( MBA )に行っていたわけです。そこで、自分も受けてみたら受かったので、行くことにした。大学院には勝手に行った。上司に言うと反対されますからね。夜の時間、つまり自分の時間を使うわけだから相談する必要はない。その当時、大学院にはアメリカ人だけで日本人はいなかった。通常4年かかるコースを2年でやった。多分これはスピード記録だと思います。日本に戻ってきたら、日本にも大学院ができていた。せっかく MBA までとったんだから、ついでにドクターも取っておこうと思い、東工大に行った。
銀行の次は
日本でもファンドができるのではないかというときに、前から独立したいと思っていたこともあって、ユニゾンキャピタルをつくった。その頃、ファンドマーケット自体日本に無かった。周囲はそんなことできるわけないと言っていたが、できるはずだと思ってやったところできたというわけです。それで、ファンドをやって、なんとか順調に行った。最初から一号ファンドがうまくいけば、ファンドはやるつもりがなかったので、一号ファンドが成功した後にユニゾンキャピタルの代表取締役を退任した。その後、 GCA という M&A のアドバイザーの会社をつくった。一橋大学が独立法人化して、大学院に兼業してもよいポストができ、その第一号になった。こうして夜に大学院で教える機会を得た。
なぜ GCA の株式を公開するのか
今 M&A のアドバイザーであるが、その M&A の周辺の仕事というものが結構ある。資金が絡むものとか。資金が調達できればもっとたくさんのことができる。 M&A のアドバイザー以上のことをやりたい。
よく日本の金融業界とくに M&A では真のプロフェッショナルが少ないと仰っていますがそれはどういうことですか
100人の M&A のアドバイザーがいたら一人ぐらいしか真のプロフェッショナルな人はいない。なぜかと言うと、目標額があったりして、どうしても案件を早くやってしまいたいという考えがあるわけです。お客様の視点でなくなると、自分でとことん考えることがなくなってしまう。そういう風にやっていたらいつまでも力はつかない。そういう人が殆どなので本当のプロは少ないわけです。
ファンドとアドバイザーの大きな違いは
ファンドは自分のお金を入れて自分が投資するわけで、 M&A のアドバイザーは誰かがやるのを手伝う。誰かが買収することに対してアドバイスをする。自分が買収するわけではない。
M&A のお仕事の一番のやりがいは
やはり、難しい案件を最後まで持っていって、結果を出せたときですね。
夢は
3段とびに例えると、今自分は51歳なんですけど同世代を考えると、普通は大学を出て助走をはじめて、「ホップ・ステップ・ジャンプ」の「ジャンプ」で砂場にいる状態なわけです。自分の人生 どこまで飛んだかなと振り返っているところです。それで私は今どこにいるかと言うと今まで走ってきて、「ホップ・ステップ・ジャンプ」の「ホ」なんです(笑)「ッ」まで行っていないです。「ホップ」は何かというと、今の GCA を日本一の M&A の会社にして、株式公開することです。 GCA を軌道に乗せることができたら「ホップ」なんです。「ホップ」の「ッ」まで行ったら次の「ステップ」の「ス」を考えます。去年ぐらいから言っていることなんですが今後5年、5年、5年と新しいことを3つやりたいと思っています。最初の5年はこの M&A の会社の株式を公開して、日本一にして、次の5年はまた新しいことをやろうと考えている。それでまた5年で新しいことをやっていきたい、そうすると65歳なんです。65歳になったときにまだ元気であればさらにジャンプ・ジャンプと行きたい。ここで、常にみなさんに言っていることあります。それは、もう30歳になったとか、40歳になったとか過去の自分と比べると、昔だったら出来たのに今ではもう出来ないと考える。そうではなくて10年後と今を比べると、10年後だったら出来ないけど今なら出来ることはたくさんあるんです。私は常に10年後の自分と比べています。だから私は10年後と比べているからいつまでたっても10年若いわけです。こう考えると今やることはたくさんあります。
大学時代にやっておくべきことは

私が思うに、知識というものは社会に出てからも身に付けられるものであるので、社会人になったら出来ないことをやっぱりやっておくべきでしょうね。例えばクラブ活動など。社会に出たら出来ないことをするべき。それと、友達は絶対大事ですね。もちろん仕事をしていると、仕事をしているから関係がある人はいますけど、仕事と全く関係ないという人はやっぱり学生時代の友達ですね。友達を作るというのは大事です。
* このログは森が担当しました。
今回佐山様は大変お忙しい中、我々と会う時間を作って下さいました。
この場を借りて改めてお礼を申し上げます。























